主題
- #社会的な流行病
- #監視資本主義(Surveillance Capitalism)
- #ソーシャルメディア
- #超加工食品
- #集中力低下
作成: 2024-06-24
作成: 2024-06-24 10:16
集中力枯渇現象は社会的な流行病
ソーシャルメディア監視資本主義禁止の逆説
集中力危機の時代を生きている。盗まれた集中力と失われた集中力を取り戻さなければ、健全な社会は維持できないことを記憶しておこう。/ GPT4o
最近、筆者に告白するのが恥ずかしいことがあった。仕事に全く集中できない日々が続いたのだ。インスタグラムに中毒になっていると感じ、インスタグラムの画面時間1日を10分に制限したのだが、突然ゲームの広告が表示され、携帯ゲームをインストールすることになった。そして、1週間、キャッシュチャージまでしながらゲームに夢中になって過ごした。
ゲームマネーが0になり、これ以上ゲームをプレイできなくなった時になって、ようやく我に返り、ゲームを削除した。プロの『自己開発者』として生きてきた筆者に起こりそうにないことが起こってしまったのだ。
集中力が奪われた。そして『設計者』への敬意を感じた。一度ハマると抜け出せないように、巧妙に設計された設計者たちの能力に感嘆した。そして、自分自身への自責の念が押し寄せてきた。「私が負け、あなた方が勝ちました。」
盗まれた集中力 書籍表紙 /アクロス
ソーシャルメディアから脱出を試みた筆者は、ゲームに捕まって1週間を過ごした。そして、このような精巧な設計から逃れられる人はどれくらいいるのだろうかという疑問を持った。そして、集中力低下が個人の自制心の欠如ではなく、社会システムにあると指摘したヨハン・ハリの『盗まれた集中力』を読み始めた。
多くの人は、筆者のように集中できず、気が散ってしまうのは、自制心を発揮できない『個人の失敗』だと考えている。しかし、ヨハン・ハリはこの本の中で、私たちの集中力の問題を引き起こした『設計者』に責任を問う。
世界中で集中力が崩壊している。アメリカの10代の若者は、あることに65秒以上集中することができず、会社員の平均的な集中時間はわずか3分だ。著者は、現代社会の深刻な集中力枯渇現象は、『肥満』のような社会的な流行病だと述べている。
肥満は50年前には非常にまれだったが、今日では西洋諸国の流行病となっている。私たちが突然欲深くなったわけではない。食べるものの質が悪化し、食料供給網が変化し、歩くことや自転車に乗ることが難しい都市が建設されるなど、このような環境の変化が、体の変化を生み出した。集中力にも、このような似たような変化が起こっているのだと著者は述べている。私たちは、集中力を失うように『設計』された社会の中で生きているのだ。
まず、ソーシャルメディアを見てみると、彼らの燃料は私たちの『集中力』だ。人々が携帯電話をより長く見れば見るほど、彼らが目にする広告も増え、ソーシャルメディア企業が稼ぐお金も増える。そのため、ソーシャルメディアはアルゴリズムを強化し、私たちの弱点につけ込み、絶えずスクロールするように『設計』されている。
その設計の有害性を積極的に語る元グーグルのエンジニア、トリスタン・ハリスは、10億人の思考と感情をコントロールするグーグルのエンジニアチームが実際に存在すると告白した。彼は、集中力を破壊するシステムを作り出す自分たちの行動が非倫理的であることを、グーグルの同僚たちに説得しようとしたこともある。
著者は、ソーシャルメディア企業の『監視資本主義』を禁止し、企業が引き続きこのような方向に進まないように、私たちの手で止めなければならないと主張する。ソーシャルメディアに加えて、集中力を失わせるもう1つの要素として、安価で質の悪い食事がある。世界の専門家たちは、食生活の変化が、私たちの集中力の相当部分を奪っているという事実を無視していると述べた。
今日、私たちが食べる食べ物のほとんどは『超加工食品』だ。超加工食品は、「BMWミニにロケット燃料を入れるようなもの」で、エネルギーの急降下を引き起こし、その結果、私たちは集中力を失っていく。著者は、これに対する責任は、私たち各自が個人的に変容していく必要もあるが、それよりも背後にあるより大きな勢力と対峙する必要があると語る。
山や農場を所有し、農業をしていなければ、全員がスーパーマーケットで食料を購入せざるを得ないが、これらのスーパーマーケットは安価な加工食品で溢れており、それは私たちが生まれた瞬間から莫大な予算で私たちに広告されているため、そこから自由になることは難しいのが現実だ。これ以外にも、著者は様々な集中力を失わせる問題について語り、それが社会的な流行病であり、根本的なシステムの変革を促す。
筆者は、本を読みながら奇妙な安堵感を得た。集中力に問題があることは、大きな恥辱に感じ、自分自身を鞭打っていたのだが、これが筆者だけの問題ではないと考えたときに感じる感情だった。
著者もまた、本を書きながら、気が散ることに対する反応の仕方を変化させたことを告白している。以前は、自責の念を抱き、自分を恥ずかしくして、より集中させようとしていたが、今では、今、何をすることで没頭状態に入り、深く集中できる能力に到達できるのか、今、できる有意義な活動は何なのか、何が私の能力の限界にあるのかを考えるようになったという。著者は、没頭状態を目指すことが、自己罰的な恥辱よりもはるかに効果的であることを知ったと語る。
『脳を集中させる方法』を検索する人の数が300%増加した。人々はソーシャルメディアの至るところで、頭が回らないと訴えている。しかし、世の中は、自分を鞭打つメッセージを主に発信している。それは根本的な解決策にはなり得ない。
集中力の問題は、個人の問題を超えて、大きな社会問題を引き起こす可能性がある。長い文章を読めなくなり、集中できなくなると、健全な民主主義を展開していくことが難しくなる。民主主義は、健全な意見交換ができる人々がいるときに実現可能だが、集中できないと、誰が何を話しているのか、社会がどのように動いているのか、誰も理解できなくなる。そうしてポピュリズムが蔓延し、社会全体の基盤が崩壊する危険性がある。だからこそ、単に個人に責任を押し付けるべきではない。制度的に対策を講じるべき時だ。
1日、米上院司法委員会は、オンライン児童性的搾取に関する公聴会を開催し、ザッカーバーグを含むソーシャルメディアのCEOらを証人として召喚した。公聴会では、「皆さんは人を殺す製品を作っている」という厳しい批判とともに、ビッグテックはこれらの問題についてより多くの法的責任を負うべきだと主張した。子供たちをわいせつなコンテンツから守ることさえできていない現実の中で、『集中力』に関する議論がいつ可能になるのか、道のりは遠い。
筆者は最近、個人としてできる限りのことをするために、携帯電話をオフにする努力を始めた。近いうちに携帯電話のロック装置も購入する予定だ。筆者が運営する読書会では、このテーマについて深く議論し、私たちが次世代を守るために何をするべきかについても整理していきたいと考えている。
集中力大危機の時代を生きている。盗まれた集中力と失われた集中力を取り戻さなければ、健全な社会は維持できないことを忘れないようにしよう。
※文章の筆者は本人であり女性経済新聞の寄稿記事を転載しました。
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